9

思い出した。

 

なんか、就活中にと、会社入ったばっかりの頃に 

たまに無意識に一人称が「ぼく」になってたんだけど

なんだったんだろう

 

さすがにこれはヤバイんじゃないかと思って

それでLGBTについて調べて

ついでにアセクがひっかかったんだったわ。

そう、そういう流れだった。

 

この記憶があいまいなところとか考えが切り替わる感じとか

ほんとね、何も考えてないんだよね。

私は何も考えてなくても、思考パターンがいくつかチャンネルみたいにあって

意識的に操作できるものは基本全部オンにしてて

そしたらそういういくつかの性格の思考パターンが流れてくるから

その中から採択してるかんじ。どれがいいか。

そんなんだから記憶にも残らないんだろうね

 

演じることに熱心、、

そうだね

女優になりたいのかって感じだねほんとそればっかりだから

でもきっとメインの自我(本でなんて書いてあったか忘れた)は耐えられない

アスペルガースキゾイドは正反対だと思う

スキゾイドは人の気持ちに特に敏感だ

 

 

思い出した。

思い出がないといったのは、そのときはそう思ったけど

そういえばいくつかはあった。

たぶん一番古いのは、保育所の中学年か高学年くらいのもの。

友達とシーソーに乗ってて、私は友達に自分の父親を嫌わせようと嘘をついている

罪悪感のせいで残ってるのかな

なんとなく気持ちが再現されたもん

8

 何日か前に気付いたことがある。

自分はもうスキゾイドがどうなんて他人に告白することができなくなったということ。

その単語の検索件数が本当に少ないから

ググられるとこのブログに辿り着かれる可能性は高い…

色んな説明のために手っ取り早いと思ったんだけど

そういうこともあるし、たぶん普通に言わないほうがいいんだろうなとは思いました。

 

 そんなことを記しておくために結局ログインしたわけですが

アクセス解析を見ると、思った10倍くらいはアクセスがあって、まあ2ケタですが、

どうもアセクで検索して辿り着いてるみたいです。

天邪鬼だからシャルをつけないでカテゴリもつけないで書きますけどねこの記事

 

 

 それについてもですね、今日、例の男、

やっぱりなんか嫌いだわ。嫌い。嫌いになりました。なんか。

数か月目にしてエスカレートの具合がひどくなったということくらいしか

原因が思いつきませんが、

なんか嫌いです。

もう嫌になってあからさまに避けたから

流石に愛想つかされたかもなんて思考にして

自分の気持ちを細心に観察したら

心の左側あたりがスーっとしました

これはなんだろうか 晴れ晴れしい気持ちなのかもしくはさみしいとかなんでしょうか

2秒くらいの通り風で終わったよ。

 

 

 だから今回のことで痛感させられるのは、

やっぱり自分は恋愛なんてできないんだろうなってこと

別に自分はいいんだけど、

いやよくない、私を巻き込まないでほしいとは思う

人間関係を無駄にめちゃくちゃにされるのは本当に嫌だし、

うーん、

恋愛そのものというより、

恋愛至上主義っていう感性が信じられないなあ

なんでそんな不確かなものにそこまで自分を投じることができるんだろう

 

 

 だからといって別に私は身の破滅を恐れて恋愛に踏み出せないとかではない

なんとなく経験でわかりました。恋に落ちるものなんだろうなっていう瞬間。

男女で心が通じたななんて思うとき。

そこまでは何回かあるんですよ。

それからがたぶん問題で、

いい友達になれるかもなんて思ったら

ちょっとめんどくさい流れになるなんて

ついていけない。

そんな状態で告白されても好きじゃないから付き合わないってそれだけ。

気持ちが育たないし、異性や恋愛への関心がない

 

 

 異性…まあよくある話だけど

自分もたぶん同性もいけるな…

雑誌のモデルとか見てそう思う。

 

 

 

7

今飲んでるビールの缶が空になるまでは書こうと思いました

 

 

思考と感情の乖離。

私は、自分でも自分が何を感じているのかわからない。

正直言って、そんなことに興味もなかったし。

いくつかある思考パターンのうちのどれかが自分なのかとは思わなかった。

はっきりと自覚して、それを作った時を覚えているから。

今でもまだ作ってるし微調整はいつもしてる。

演じるための人格を作る前の自分がどんなだったかは、当時から不思議ではあったけど、覚えていない。思い出もない。

転校から戻ってきた子と親からよく仲良くしてたなんて言われても覚えていないし、とりあえずその時の私で仲良くしておくしかできなかった

 

 

 

知的化。

そう、やたら計算高い。

でもそれで何かしたいことがあるわけじゃなくて、

そういう合理主義な思考パターンがしみついているだけ。

それを追求するのも割と好き。

でもそれで何かしたいわけじゃない。

とりあえずその場を切り抜けることにしか使ってないかな

最近は、自分の気持ちに従うための尻ぬぐいに使うことに決めたところがある

 

 

これってそんなに、理解されにくいものかな

変かなあ

どこからどこまでがちがうんだろうか

それを知って、私はどうするんだろうか

それで結局どうなるんだろうか

 

別に真面目だからいろんなことをしているけど

いつ死んでもいい。

どこに所属していても、いつやめてもいい。

ただ、その理由ができないからそうしないだけで、

一生その気持ちを持たないことはないだろうと思う。

その気持ちが自己犠牲からくるものかもしれないと、少し前に気付いたけど

それならどうして生きているんだろうかと思うけど

そんなことはみんな思ってきたことで

それでも命を繋げてきたわけだから

生物の目的は子孫を残すことで

それだけが明らかに示されたことで

でもこんな恋愛至上主義のなかで相手をみつけることができない

子供を産んで育てれば死んでいいのに

6

 就活(再就職のための)のときに、多重人格を疑ったことがある。

 

映画を見ていると、自分は見ているだけで、何にも考えていない。

でもいつもどおり自動的に決まったパターンの思考がいくつか流れてきて、私を笑わせようとしたり、それをたしなめるように急にシリアスな思考を流してきたりする。

その中で私はたまに、何も考えてないんだけど、なんか心が何かしら動いて、だからその感情らしきものを受け取る。それが何なのか、分析する。

映画だとそんな暇はないから、ピコピコ動くのをかんじて終わる。

 

まあ映画なんてめったに、付き合いで年に一回みるかみないかくらいなんですけど

 

 

あ、また不親切な書き方をしたよ。

スキゾイドね。フェアベーンはおいといて、一般的には

スキゾイドパーソナリティ障害とは、社会的関係への関心のなさ、孤独を選ぶ傾向、そして感情的な平板さを特徴とする。

 スキゾイドは「社会的に孤立していて対人接触を好まず、感情の表出が乏しく、何事にも興味関心がないように見える」という性格特徴を表す言葉である。また、本症は外界への興味・関心そのものが薄いという点で、対人恐怖症回避性パーソナリティ障害とも異なるものである。

 

DSM-IV-TRでは次の診断基準のうちの少なくとも4つ以上を満たすことで診断される。

  1. 家族を含めて、親密な関係をもちたいとは思わない。あるいはそれを楽しく感じない
  2. 一貫して孤立した行動を好む
  3. 他人と性体験をもつことに対する興味が、もしあったとしても少ししかない
  4. 喜びを感じられるような活動が、もしあったとしても、少ししかない
  5. 第一度親族以外には、親しい友人、信頼できる友人がいない
  6. 賞賛にも批判に対しても無関心にみえる
  7. 情緒的な冷たさ、超然とした態度あるいは平板な感情 

(wiki

DSM-IV-TRの基準(今初めて見たけど)には全部当てはまってますね

逆に第一親族…!?いやそれに対しても特別どうこうあるわけじゃないんですけど

って思ったけど、まあそのへんは色々あるんだろうなと

5

本題に入りますか

 

 スキゾイド、これを知ったのは

読書に勤しもうと図書館で本を物色して(それはアセク関連の本とタイミングが一緒で先にLGBTの本を借りた)借りた本を

家に持ち帰って読んだときです

 

なんでこんな本を借りたか、物色したかっていうのはまあやっぱりたまたまなんですけども

でも思いがけずそんなことを知って気持ちの整理がつかないからこんなに散文しているししたためる気になっているのです

 

 

 自分がそう(フェアベーンのいうところのスキゾイド)かもしれないと思ったのは

・役割演技という技術

スキゾイド(精神分裂なんとか)の言葉の由来

・知的化

について読んだところでです。

 

精神分裂なんとか。

まあそのなんとかの部分がちょっとややこしいんですけども。

引用…したいんですけど、そのせいでちょっと難しい。。

精神分裂なんとかっていう和訳の部分は全部「スキゾイド」にするっていう、手を加えて引用することにします

 

また、スキドイドについていろんな考えがありますが私が基本としているのは

『人格の精神分析学』(R・フェアベーン 山口泰司 訳)に書かれていることです

スキゾイドについて知ったばかりなのでそれ以外をろくに知らず

これから書くことに他の考えと対立することなどがあっても、その考えを否定するものではありません

 

 

スキゾイド」は、自分の情緒的問題を内的世界の中で知的に解決しようと努力することになる。

 

〰〰〰〰〰〰

元々は情緒的問題であるものをこういうふうに知的に解決しようとする態度は、次に述べる二つの重要な展開を見ることになる。

(1)思考のプロセスが高度にリビドー化されるので、思考の世界が、創造的活動と自己表現の主要な領域になりやすい。

(2)また、観念が感情の代わりをはたし、知的な価値が情緒的価値の代わりをはたすことになりやすい。

 

〰〰〰〰〰〰

じっさいこのような場合に、いざ感情が自己を主張しようとすると、感情は頭で考えている内容とはまったくかけ離れたものとなって、まことに場違いでまったくピントはずれなものになってしまうのが普通である。

さもなければ感情表現は、緊張型の「スキゾイド」に見られるように、突如として烈しいほどのほとばしりの形をとることになる。

言うまでもなく、「スキゾイド」という言葉が採択されたのは、何よりも先ず、このような思考と感情の乖離が観察されたからではあるが、

 (p55)

 

スキゾイド」でも、多くの場合、何かの役を演じたり何かのふうを装ったりすれば、実に豊かな感情表現をすることも、一見きわめて印象的な社会的交わりをすることも、不可能ではない。けれども、かれはそうすることによって、実際には何一つ与えてもいなければ、何一つ失ってもいないのである。なぜなら、かれとしてはただ何かの役を演じているだけであって、そこにかれ自身の人格がまきぞえにされているわけではないからである。(p47)

 

 

役割演技は演技性人格障害を思い出す人もいると思いますが

演技性パーソナリティ障害または演技性人格障害は、演劇的あるいは性的誘惑による行動によって、自己に過剰に注目を引こうとする行動様式のために、対人関係が不安定になるといった機能的な障害を伴った状態である。 (wiki)

注目をひこうとするという、その動機がスキゾイドにはなく、自己防衛のためにそうしているというところになるので違います。

 

 

 

 

 

 

4

やっぱり書くの面倒になってきたな…書かないってだめかな…いや書く…書かせてくださいとも…

 

うーん、

まだアセクがどうとか知る前に、友達にそういうことを話したとき、その中のひとりも自分も同じだって話になって。

まあお互い感じたと思うけど、でも全然違う。

 

私が恋愛に興味がないっていうのは、他人の恋愛についてもで、

だから自分が恋愛をしたことがないとかにコンプレックスを抱いたことはない。

恋愛をしたいと思ったこともなかったし、2↓

 で書いた、好きになれたらいいってのも、それをきっかけにもう本当に恋愛とか無理なんじゃないかって思ったからこそ、まあどこか投げやりな感じで、できるもんならっていう気持ちの言葉なんですよたぶん

 

たぶんっていうのはその言葉だけ突発的に出てきた思考だから、スキゾイドとして私にもそれはどういうことなのか理解できないのでご容赦ください

 

 

そう、結局まあ最近仕入れた知識だからそこに行きつくわけだけど

この違いはスキゾイドっていうのが根底に私の方にあるからなのかと

またその関連はあるのかというところを今考えてみようと思いま

 

 

①興味がない

…これはずっと私をおおっているもので、何に対しても執着心とかをもてない

 

②恋愛

 

他者の愛は、だからその憎悪よりもおそれられる。というよりは、むしろすべての愛が憎悪の別形式として感じられる。愛されることによってひとは余計な義務のもとに置かれる。「ひき裂かれた自己」レインp.56

(*ガントリップは)「愛する対象を飲み込んで失う恐怖」と同時に「その愛する対象に飲み込まれて自分を失う恐怖」にも襲われると考え、これを自己喪失(ego loss)の恐怖と呼んだ。「生い立ちと業績から学ぶ精神分析入門」p209

カーンは、彼らは被暗示性が高いために、他者と深い関係に陥いらないようにしている、と考えている。「現代対象関係論の展開」館直彦p82

(シゾイドbot@p_schizo)

  上の引用の本は読んだことがないので適当に書きますが(実はフェアベーンの本もまだ読んでる途中)、

とりあえず、上の言葉を見た感じの感じは私にはありますね。それがスキゾイドと関係あるのか、どう関係あるのかわからないけども

うーん、期待に応えなきゃって感じですかね

嘘をつかないようにするのが大変です

私は年に1回あるかないかくらいの頻度だから気を付けてはいるけど困ってはないかな

 

これが男女関係だとないんですね

なんでだろうかと。

いや、そうでもないな、そうでもなかった!

確かに確かに、そうなるから早めに関係を断ち始めるんですわおわり

 

 

終わった…終わったよ…ひどいな…いや、こういうのは過程とか変化とかが大事だからこの記事を残すことも必要なことなんだってそう思いますわ

3

2↓で不親切な書き方をしたけど、アセクシャルって他人に恋愛感情と性的欲求をもたない人のことです。


 はい。酔ってるから許してほしい。

 

性的欲求ね…恋愛するけど性的欲求がない人をノンセクシャルといいます

女には珍しくないんじゃないかなと思ってるんだけど

 

 記事をもう一つ作ってまで書きたかったこと…は3つあるかな

どれもよく調べず書くけども

 

①Xジェンダー

…自分の意識についてその性別が女にも男にも属さない (と私は解釈した)

 色んなブログとか見るとアセクシャルと兼ねてるのが多い印象だったから、自分も疑ってみたらそうなのかもしれないと思ってきた

・今は就活とかのストレスでサイズダウンしたから考えてないけど、5、6年前からずっと、胸を切り落とそうと考えていた。私にとって女とか、体っていうのはその程度のものだ

・だからこそ、抵抗なく自分をカスタマイズできる

 女らしさの程度や自分の見た目(ジェンダー)を上手く作って自分が生きやすくしている

 

フェミニズム

 もしかしたらと思ったことだけど、フェミニズムってアセクシャルと関係ないのかな

 

③→これはやっぱり次の記事に書こう