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本題に入りますか
スキゾイド、これを知ったのは
読書に勤しもうと図書館で本を物色して(それはアセク関連の本とタイミングが一緒で先にLGBTの本を借りた)借りた本を
家に持ち帰って読んだときです
なんでこんな本を借りたか、物色したかっていうのはまあやっぱりたまたまなんですけども
でも思いがけずそんなことを知って気持ちの整理がつかないからこんなに散文しているししたためる気になっているのです
自分がそう(フェアベーンのいうところのスキゾイド)かもしれないと思ったのは
・役割演技という技術
・スキゾイド(精神分裂なんとか)の言葉の由来
・知的化
について読んだところでです。
精神分裂なんとか。
まあそのなんとかの部分がちょっとややこしいんですけども。
引用…したいんですけど、そのせいでちょっと難しい。。
精神分裂なんとかっていう和訳の部分は全部「スキゾイド」にするっていう、手を加えて引用することにします
また、スキドイドについていろんな考えがありますが私が基本としているのは
『人格の精神分析学』(R・フェアベーン 山口泰司 訳)に書かれていることです
スキゾイドについて知ったばかりなのでそれ以外をろくに知らず
これから書くことに他の考えと対立することなどがあっても、その考えを否定するものではありません
「スキゾイド」は、自分の情緒的問題を内的世界の中で知的に解決しようと努力することになる。
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元々は情緒的問題であるものをこういうふうに知的に解決しようとする態度は、次に述べる二つの重要な展開を見ることになる。
(1)思考のプロセスが高度にリビドー化されるので、思考の世界が、創造的活動と自己表現の主要な領域になりやすい。
(2)また、観念が感情の代わりをはたし、知的な価値が情緒的価値の代わりをはたすことになりやすい。
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じっさいこのような場合に、いざ感情が自己を主張しようとすると、感情は頭で考えている内容とはまったくかけ離れたものとなって、まことに場違いでまったくピントはずれなものになってしまうのが普通である。
さもなければ感情表現は、緊張型の「スキゾイド」に見られるように、突如として烈しいほどのほとばしりの形をとることになる。
言うまでもなく、「スキゾイド」という言葉が採択されたのは、何よりも先ず、このような思考と感情の乖離が観察されたからではあるが、
(p55)
「スキゾイド」でも、多くの場合、何かの役を演じたり何かのふうを装ったりすれば、実に豊かな感情表現をすることも、一見きわめて印象的な社会的交わりをすることも、不可能ではない。けれども、かれはそうすることによって、実際には何一つ与えてもいなければ、何一つ失ってもいないのである。なぜなら、かれとしてはただ何かの役を演じているだけであって、そこにかれ自身の人格がまきぞえにされているわけではないからである。(p47)
役割演技は演技性人格障害を思い出す人もいると思いますが
演技性パーソナリティ障害または演技性人格障害は、演劇的あるいは性的誘惑による行動によって、自己に過剰に注目を引こうとする行動様式のために、対人関係が不安定になるといった機能的な障害を伴った状態である。 (wiki)
注目をひこうとするという、その動機がスキゾイドにはなく、自己防衛のためにそうしているというところになるので違います。